『ノルウェイの森』(2010・日本) |"映像化不可能"の定説をくつがえした記念碑的作品

結論からいうと、私は大絶賛します。

映像化絶対不可能といわれていた小説を

よくぞここまで表現しきりました。

トラン・アン・ユン監督に、どっぷりと深い森の中へ導かれました。

限られた尺の中で、これほどの仕事を

成し遂げた監督の手腕を褒め称えたいです。

まず最初にハルキスト・レベルを

申告しておきます。

作品読了数が約20、(翻訳、村上春樹研究本を含む)

「ノルウェイの森」読了回数は2回。(10年以上前)

その程度の人間が思ったことであるということを

ご了承した上で読んでいただければ幸いです。

いざこうして映画ができあがってみると、なぜ今まで誰も映画化しなかったのだろうと

思ってしまうほどに、本作はスマートです。

村上春樹の、あのまったく非現実的なセリフや

モノローグをどのようにして
現実になじませていったのかを

ちょっと考えてみたいと思います。

とにかく目につくのが汚さ。

高校の教室の窓ガラスも、大学構内も、ワタナベ(松山ケンイチ)の部屋も。

まず、ここからして凄い発想だと思います。

村上春樹作品を読んだことのある人なら

ご理解いただけるでしょう、主人公は

うんざりするほど掃除好きなのです。

しょっちゅう部屋を片づけたり、洋服にアイロンをかけたりしています。

小説を読んだ我々までが、思わず

掃除をはじめてしまいたくなるほどに。

これは一部で「村上春樹効果」と

呼ばれているそう。

それを監督は、徹底的に散らかし、汚すことによって現実に近づけました。

なじませたわけです。

次に、ワタナベ(松山ケンイチ)の

人間像について。

小説では、ワタナベはレコード店で

アルバイトしていましたよね。

映画ではそれに加え、工場で力仕事をしたり、市場で魚を扱ったりと、肉体労働に従事します。

これも、ともすれば観念的で

とらえどころのないワタナベという青年を、60年代当時のどこにでもいそうな大学生という

姿に近づけるのに一役買っています。

小説の中のワタナベは、一滴の汗も

流しそうにないですからね。

次に、村上春樹ワールド特有の

現実には決して口にしないようなセリフを

いったいどうやって処理するのか。

映画化にあたり、おそらくこれが

最大のネックだったでしょう。

映画では、原作とほとんど同じセリフが

採用されています。

トラン・アン・ユン監督は、超絶長回し演出を採用することで

この問題に対処しているようです。

役者はさぞかし大変だったことでしょう。

そして、暗記するために

何度も繰りかえしているうちに、身体の中に染みこんでいったことでしょう。

長回し演出には、そういう狙いが

あったと思われます。

本作は、一見すると原作をなぞっているだけの

ようでいて、監督は自身が企んでいる流れを

密かに加味させているのではないでしょうか。

(とくにレイコというアイコンは、原作と

微妙に違う位置づけを試みていると思います)

そして天候という大事な要素。

晴れか、雨か、雪か。風は吹いているか。

これらはすべて、登場人物(女性たち)の

感情を補完する役を担っているようです。

(追記 : もちろん雨がGoodで、晴れがBad。

“濡れている”か”乾いている”かです。

そのへんは察していただけてますね ^^;)

…他にも沢山言いたいことはあるけれど、このへんでまとめに入ります。

映画『ノルウェイの森』における

『森』とは何を意味しているのか。

端的にいうと、難解きわまりない

直子(菊地凛子)の心だと思います。

もうちょっと広げると、登場する女たちの業と性

ではないでしょうか。

(最初のうちは『森』とは、60年代末期という

時代全体を言っているのかなと思いました)

いちばん印象に残ったシーン

(と女性)を挙げるとすれば、

それは直子でも

ミドリ(水原希子)でも
レイコ(霧島れいか)でもなく、

ハツミ(初音映莉子)です。

監督がレイコのエピソードをばっさり

切ったことを批判する人は

かなりいらっしゃるはず。

あれを切ることによって、原作においてさえ

疑問の声が多かった、ワタナベとレイコが

SEXするにいたる必然性が、ますます希薄になるわけですから。

(監督だって切りたくて切ったわけでは

ないでしょう。とにかく尺という

制限があるのでしかたがない…)

この物語において、かなり重要な要素を占める

レイコが療養所に入るに至った経緯をカットしてまで

ハツミのエピのほうを採用したのは、下に挙げるシーンを見せたかったからだと、私は思っています。

ワタナベの先輩で、後に外務省に就職する

永沢(玉山鉄二)とつきあっているハツミ。

ワタナベは永沢のことを

「高貴な精神性をもった俗物」と評しています。

(うろ覚えですがこんな形容だったような…)

なぜ”俗物”かというと、ハツミという

彼女がいるのに浮気をしてまわる、人間としての無責任さが

ワタナベには許せなかったからでしょう。

ワタナベは、人としても

とてもしっかりしていますからね。

その3人がレストランの個室で食事をするシーン。

ワタナベと永沢が、渋谷でナンパをして

ホテルへしけ込み、途中で女性を

交換したという話を、永沢がし出します。

ワタナベだって裏ではこんなことやってるんだぜ…

ということを恋人のハツミに聞かせるという、じつに永沢らしい陰湿なアソビを

二人に同時に仕掛けたわけですね。

ワタナベはあせってその話を切り上げようとしますが、ハツミが「面白いから」続けなさいと言うので

ワタナベは嫌々ながらも事の顛末を説明。

(今、気づいたのですけれど、この

「面白いじゃない」というセリフ、ダブルミーニングになっていて
永沢の挑発を受けて立ってもいるんですね。

なんちゅーカップルやねん…)

そして場面は変わり、タクシーの後部座席に

並んで座るハツミとワタナベ。

この映画における重要なモチーフの

ひとつが”耳”です。(キッパリ!)

場面場面において、女性たちが

耳を出しているか、隠しているか。

ミドリがはじめてワタナベに声をかけてきたとき

ワタナベは、すぐには誰か分かりませんでした。

それまでミドリはロングヘアだったからです。

髪を切って(耳をあらわにして)ワタナベに

会いに来たということが、後の二人の

関係を暗示していると思います。

その”耳”ですが、登場する女性の中で

ピアスをしているのはハツミだけ。

これとネッカチーフ(首輪のメタファ)は、ハツミが永沢に支配され切っていることを

表していると考えられます。

もちろん、あくまでも映画的記号として。

現実世界でもそうだと言っているわけでは

全然ありません。念のため。(汗)

話を戻して…車中での会話の途中、上品なハツミが唇を片方だけ上げ、ニヤッと笑うシーンがあるのです。

これには背筋がゾゾッとしました。コワイヨー(泣)

その数年後にハツミが自殺したことが、ワタナベのモノローグにより明かされます…。

監督は、この業に囚われた微笑みを

見せたかったのかと

ひとり勝手に納得した瞬間でした。

今回はこのへんで。ノシ

映画館を出るとき、5,60代のご婦人

二人連れの会話が聞こえてきました。

「あらすじ分からなかったわ。

途中で寝ちゃって、自分のイビキで起きちゃったわよ」

たしかに(笑)。

無音のシーンが多いので、寝るのに(も)うってつけの映画かも。

コメント

タイトルとURLをコピーしました